バドミントンの上達を目指すあなたを強力にバックアップするサイトです!

●著者のプロフィール

           

名前: 正岡 毅(まさおか たけし)  1965年5月29日、兵庫県尼崎市生まれ 大阪府四條畷市在住


(公財)日本体育協会・(公財)日本バドミントン協会 公認バドミントンコーチ(登録番号:0336280)
バドミントン公認審判員3級
ミズノバドミントンスクール 講師
田原スマッシュバドミントンクラブ コーチ
寝屋川市スポーツインストラクター


講習会実績:
四條畷市バドミントン教室
四條畷MASAバドミントン講習会
寝屋川市初心者バドミントン講習会
北海道深川市講習会
北海道札幌市講習会
福岡県北九州市講習会
長野県駒ケ根市講習会


趣味:読書、音楽(SAS、スキマスイッチ、Taylor Swift、The Beatles、Billy Joel、Elton John)、シュノーケリング
特技:ギター(弾き語り(叫び!?)、文章作成(スラスラ書ける)、英語(英検2級ほぼ満点で合格)、珠算(2級)、カラオケ
    速読


バドミントン戦績:
神奈川県社会人リーグ1部優勝(ルディ)
大阪社会人クラブ個人戦30歳シングルス優勝
大阪社会人クラブ個人戦40歳シングルス優勝
大阪社会人クラブ個人戦45歳シングルス優勝(4回)
大阪社会人クラブ45歳ダブルス優勝(5連覇中)
大阪社会人クラブ50歳シングルス優勝
大阪総合40歳シングルス優勝
大阪総合45歳シングルス優勝(3回)
大阪総合45歳ダブルス優勝(5連覇中)
近畿社会人40歳シングルス優勝
近畿社会人45歳シングルス優勝(2回)
近畿総合30歳ダブルス優勝
近畿総合45歳シングルス優勝(3回)
近畿総合45歳ダブルス優勝
全国社会人クラブ45歳シングルス優勝(4回)
全国社会人クラブ成年男子団体優勝(2連覇中)
 (見市昌弘・國信建臣・小山顕・門野聡・畑下隆男)
 (見市昌弘・門野聡・岩津寿茂・野田雅雄・千菊浩二)
日本スポーツマスターズ北九州大会優勝(宮本芙士夫・早水栄治・見市昌弘・有田圭一・林潤一)
全日本シニア40歳シングルス9位
全日本シニア45歳シングルス準優勝
全日本シニア45歳ダブルス3位
 ※ダブルスのパートナーは全て見市昌弘

表彰:
四條畷市体育奨励賞 2回 平成25年11月30日、平成27年12月6日
技能賞 平成26年6月21日(全国社会人クラブ個人戦45歳シングルス3連覇による)
大阪スポーツ賞 優秀選手賞 平成26年10月4日(日本スポーツマスターズ北九州大会優勝による)


<誕生>
1965年(昭和40年)5月29日 兵庫県尼崎市のとある病院で生まれる。
3,700gの大きく元気な赤ちゃんだった。
生まれた時は髪の毛がなく、また鼻も低く、残念無念ながら、近所の奥様方からは「ブサイク」と陰口されていたらしい。


大阪府茨木市総持寺団地にて
前が著者(後ろは兄の真) 

<幼少時代>
勉強より運動が好きだった活発でやんちゃな幼少時代を大阪(茨木市・高槻市)で過ごす。
小学校の3階の教室の窓からぶら下がって騒ぎを起こしたり、放課後には木登りをしたり、自宅の屋根で兄と凧揚げを
したり、山に入ってカブトムシ・クワガタを採ったり、近くの池でザリガニを採ったり、非常にワイルドな少年時代であった。
夏休みの帰省時には、田舎(愛媛県松山市)のみかん山で、伊予柑の遠投をして地肩を鍛える。

小学校5年から少年野球を始める。肩は強く、打撃は良かったが、守備が苦手だった(現在のバドと同じ・・・)


<中学〜高校>
中学校(川崎市立西生田)に入り、部活動をやろうと思ったが、兄がやっていて戦績が良かったサッカーは、反発心から
選択せず、また入りたかった野球部は存在しなかったので、陸上部に入る。
当初、短距離チーム所属だったが、長距離チームに人が足りないということと、コヤツは面白そうだ、との理不尽な理由で
強制的に長距離チームに移籍させられる。

長い距離を走るだけの、ゲーム的要素のない苦しいトレーニングに、度々辞めようかと悩んだが「途中では絶対に辞め
たくない!」という理由だけで、何とか3年間続ける。
中学校時代の記録は1,500m 4分40秒。川崎市駅伝大会には2、3年と出場。鳴かず飛ばずの平凡な選手だった。

高校(神奈川県立百合丘)でも運動はしたかったが、陸上部がキツかったので、楽そうなスポーツがいいなぁという安易な
理由で、バドミントン部を選択。部活動紹介の、先輩のスピーチがきっかけとなったのも一因か。

陸上部で鍛えた体力で、ランニング・トレーニングは涼しい顔で軽々こなしたが、バドの技術面では超不器用で、非常に
飲み込みが悪かった。
ノックでは自分だけ空振りを連発。いくらやってもラケットに当たらないので、途中からコートの外に出されて、一人だけ
素振りを指示された苦く辛い過去を持つ。
しかもその素振りは・・・

「壁際に立って、腕を伸ばして耳を擦るように、手首を折って打て!」

という、現在のスイング理論からかけ離れた基礎を叩き込まれたおかげで、初期の上達に著しいハンディキャップを
背負ってのバドスタートであった。
また「足換え」の覚えも非常に悪く、マンツーマンで先輩から直接指導されても、何回やってもなかなかできなかった。

バックハンドも超苦手で、高校時代は結局全く打てないまま終わった。
ただ、ある程度各ショットが打てるようになってくると、伊予柑の遠投で鍛えた地肩のおかげで、スマッシュの威力だけは
強くなり、経験者と組んだダブルスでは、後衛からガムシャラに打つだけのスタイルで、神奈川県インハイ予選団体戦で
ブロック準優勝することができた。

高校3年になり部活動を引退するも、バドミントンの楽しさが忘れられず止められず、受験勉強に没頭しなければならない
時期でも部活動に参加し、中間・期末試験中でも朝練を楽しんでいた。
受験勉強が佳境の3年生の年明けにも、地元のバド大会に参加するなど、この頃からバドの楽しさにどっぷりと浸かって
いた。


<大学〜社会人>
大学(中央大学)時代はバドミントン同好会に所属するも、体質が合わず役員が終わった3年で退会。バドショップで
アルバイトの傍ら、当時店長の方に色んなところの練習に連れて行って頂き、色んな上級者の方々とプレーさせて頂いた
おかげで、この頃メキメキと飛躍的に上達する。

社会人となり、神奈川のクラブ「ルディ」に所属。最下部の6部からスタートしたが、超強力なメンバーのおかげで、毎回
優勝・毎回昇格を続け、一度の足踏みもなく1部でも優勝を果たす。
(当時の主なメンバー:石場隆雄さん、渡辺勇樹さん、豊田裕さん、伊藤淳一さん他)

その後、母の急逝(51歳。急性骨髄性白血病)や失恋などで、自暴自棄になりかけた時期もあったが、それでも大好きな
バドミントンは細々と継続していた。

30歳になり大阪に転勤となる。地元のクラブを探そうと、寝屋川市役所で情報を得た市民大会のシングルスに飛び入りの
形で参加。3ヶ月間全く運動していなかったが、過去の貯金のみで決勝に進出する。
決勝ではファイナルゲームに突入するも、体力は完全に枯渇してしまってThe end・・・ファイナルはプレー続行不可能で
棄権という情けない幕切れであった。

しかし決勝までのプレーぶりが目に留まり、お声掛け頂いて現在のチーム(Hiwakai)に所属することとなった。

大阪社会人リーグでは、長く1部で優勝を目指すも、あと一歩が届かず最高で準優勝(2回)であった。

その頃はバドを楽しむだけで、個人戦への熱意は低く、試合にエントリーしながらも、会場が遠方だと、結局行かずに
棄権、というバド選手として不埒なこともしていた。


<不惑〜決断〜変革〜前進>
しかし40歳を越えたあたりから、残りのバド人生はもうそれほど長くないことを強く意識し始める。将来年老いて、バドが
思うようにプレーできなくなった時に

「ああ、あの時もっとバドミントンを一生懸命やっておけば良かったなぁ」
「試合にも、もっとチャレンジしておけば良かったなぁ」

というセリフだけは絶対言いたくない!と一念発起。
バドのブログも始め、バド上達に熱意を注ぐようになり、練習やトレーニングにも身が入るようになってくる。

公式戦・個人戦にも積極的にエントリーし始め、42歳になる年の2007年4月に大阪社会人クラブ30歳シングルスの部に
挑戦。予想外の優勝(初)を果たした。

その後、大阪社会人、近畿社会人、大阪総合、近畿総合(シニア)、全国社会人クラブ個人戦と、努力と意識に比例して
それなりに結果も出るようになってきた。

全日本シニアにも積極的に参戦するようになる。この大会でも何回か勝てるようになり、2011年仙台大会では望外の45歳
ダブルス3位入賞を果たした。
そして2014年愛知大会では、45歳シングルスで、パートナーの見市と共に最終日(ベスト4)に残るという快挙!?を
達成。残念ながら二人とも同じ人(島根県 金山氏)に負けて、見市は3位、私は準優勝となったが、全日本シニアでの
自己最高成績を収めることができて、大変思い出深い大会となった。

今の最大の目標は「全日本シニア優勝」である。それに向けて、日々頑張って練習を続けている。

好きな言葉は「人生は一度」 せっかく頭脳明晰な「人間」として生まれたからには、短い人生を自分の大好きなことで
納得するように生きていきたい!臨終の時に「ああ、いい人生だった!」と心から笑って言えるようにしたいという思いから
意を決して、24年間継続したサラリーマン生活にもピリオドを打ち、残りの人生を、バドミントン(コーチ)で生きていくことを
決意する!
公認バドミントンコーチの資格も取得し、現在は、レッスンDVDの制作、講習会、バドミントンスクール講師、ジュニアチーム
のコーチ、寝屋川市・四條畷市バドミントン教室講師などを行い、思い描いた通りバドメインの充実した日々を送っている。

私の人生のミッションは

「自分の持っているバドミントンの技術・知識を、全国の初〜中級者に伝えて、その方に上達してもらい、練習や試合で
結果を出して喜んでもらうこと。自分の特性を活かして、世の中に貢献していくこと」

である。
自分の特質を活かして世の中に貢献する。そしてそのことで世の中から感謝される。これこそが、人間の最高の幸せなの
だと確信している。
このミッションを胸に、残り少ない人生を全うしていきたいと考えている。なかなか素敵な目標だと我ながら感心している!?

素晴らしい話をひとつ。

問 「なぜ私たちは生きているのか?」
答 「人の役に立つためです」  〜 アルバート・アインシュタイン

私が一番皆さんのお役に立てるものは、バドミントンです。
私との出会いによって、みなさんが少しでも良い方向に軌道が向いてくれたら、それだけで正岡毅がこの世に生まれた
価値があることになります。

このホームページで販売しているDVDは、私の人生のベクトルにピッタリ向いた、一つの成果です。
きっと、みなさんのお役に立てると確信しております。

みなさん!一緒に頑張って、そして一杯楽しみながら、バドミントン上達していきましょう!

 

e-Badminton 代表 

 

>>ホームへ戻る

Copyright 2015 All Rights Reserved by e-Badminton